東北のことを日本と言う

聖徳太子は、その昔に「日出る処の天子、書を日没する処の天子に致す。つつがなきや。」と書きました。

 

「日出処天子至書日没処天子無恙」

遣隋使として隋の煬帝に拝謁する小野妹子に聖徳太子が託した手紙です。日本を「日の出る処」、中国を「日が没する処」と表現しました。更に、自分を「天子」と称して隋の天子と同格なのだと主張してもいます。これに、煬帝は激怒したといいます。

 

中国からみて、東に位置する日本は、確かに太陽が昇る方向にあるわけです。

 

さて、聖徳太子は「日出処」と言っていますが、その当時「日本」「日の本」という言葉もありました。それが、東北地方です。大和朝廷からみて、東北地方は東に位置して、確かに太陽が昇る方向にあるわけです。

 

平安時代に征夷大将軍に任じられ東北遠征をおこなった坂上田村麻呂が、「日本中央碑」という碑を建てたのは今の青森県内です。

当時、青森県(津軽)の豪族安東氏は、「日の本将軍」と名乗っていました。同じころの、長野県(信濃)の文献からも「蝦夷に日の本という種族がある」と書かれています。

 

当時、「日本」とは、東北地方あるいは東北地方の人々を表すことばだったようです。

時代はずっと下って、豊臣秀吉が小田原征伐のときに「小田原を征服すれば、関東・日の本まで置き目となる」と言っていて、「日の本」と東北の意味で使っています。

 

東日本大震災から5年が過ぎました。多くの人生を変えた災害でした。

東北の復興は、日本の復興です。

 

※ 宮城県大崎市にある「中鉢美術館」の館長:中鉢弘さんに関する記事を下敷きにしました。中鉢美術館は中鉢さんが個人で建てた日本刀の美術館です。仙台からクルマで1時間くらい。刀剣乱舞というゲーム人気を受けて、若者の間で刀剣ブームなんだそうです。刀剣そのものではなくて、刀剣キャラクターとか刀剣アイドル?といったものだとか・・

 

おじさんには、わからない世界ですが、このお蔭で中鉢美術館でもイベントが開催されて、賑わっているそうです。東北に人が行く、新しいきっかけにもなっています。

 

中鉢美術館にはホームページがないので「中鉢美術館」で検索してみてください。