神は細部にだけ宿るのか?

情報通信量は日々飛躍的に増加し、テレビは4K・8Kと微細になっていきます。

 

防犯カメラの映像で、人の身体の微妙な動きというか”ゆらぎ”から、不審者を特定する技術というのがあるそうです。犯罪を起こそうとする人は、何かしら不穏な動きをします。

 

「相棒」の杉下右京さんは、「細かいことが気になるのが僕の悪い癖」というのが決めセリフです。細部の不適合を追及して、犯人を見つけていきます。

 

TVドラマや映画、さらにアニメでさえも、苦情で最も多いのは「小物の飾りが前のシーンと違う」「襟章の上下が変わった」といった細かい部分のミスだそうです。

 

国会の審議でも、議事の多くが発言の言い間違いや、比喩の使い方などへのクレームです。政策の方向性とか政治姿勢はあまり問題になりません。

 

 

個人も組織も取り扱う情報量が大きくなりすぎているのかも知れません。データの洪水のなかでは大きな流れを観ることは難しいのでしょう。

「木を見て森を見ず」と言いますが、圧倒的な量の木が迫って来れば、一本一本の木を見るしかないということのようです。

 

TVドラマで物語の起承転結には誰も興味を持たず、セリフや衣装の面白さばかりが際立つようになっています。神は細部に宿るとは言うものの、本質的なテーマとか歴史観が顧みられないのは心配です。なんのドラマのことかは、ご想像にお任せしますが・・。

 

そんな中で、文化審議会漢字小委員会が、『手書き漢字、「とめ」「はね」など細かい違い許容』という指針を発表しました。

線の長短や方向、はらい、とめ、など字形が違っても、文字の骨組みが同じなら構わないということです。「一点しんにゅう」と「二点しんにゅう」の混在なども認めています。

一部の識者からは反発もあるようですが、英断!です。

 

取り扱う情報量は一層増えていきますが、細かいことは気にせず、大づかみに把握することが大切だと思います。 また、その情報の裏にある本質を透かして観ることに心がけましょう。