靖国神社の起源は宇部市の琴崎八幡宮だそうです

先日、爆発事件もあった靖国神社ですが、起源は宇部市の総鎮守「琴崎八幡宮」だそうです。

 

「琴崎八幡宮」は、宇部市の中心部にあり、9世紀半ばに起源がある古い神社です。

現在は、縁結び・安産・育児と、交通安全を祀る神社として人気を集めています。

 

靖国神社との縁起は・・

ときは元治元年(1864年)。尊王攘夷を唱える長州藩は、江戸幕府を相手に、京都を舞台にして戦いを挑み、あえなく敗退します。これを禁門の変、あるいは蛤御門の変と言います。

 

このときの長州藩の総大将が、福原元僴(福原越後)です。長州藩三家老の一人で、宇部の領主でもあった福原越後は、この禁門の変の責任を負わされて自刃します。

この自刃によって、幕府と長州との戦争が回避されました。萩・椿八幡宮の宮司だった青山清(上総介長清)は、福原の御霊を琴崎八幡宮に祀ります。ときに慶応元年(1865年)5月16日です。

その後の長州藩は、幕府恭順派が力を失って明治維新へと進みます。

 

 

自刃した福原越後のために、長州藩は宇部に維新招魂社(現在の宇部護国神社)をつくり、福原の御霊を遷座します。慶応2年(1866年)のことです。(宇部護国神社の主神は福原越後です。宇部地域のその他の維新の戦死者、日清・日露戦争・大東亜戦争の戦死者、戦後は消防殉職者なども合祀されています。)招魂社では、国のために戦った人の御霊を祀る招魂祭が行われます。

 

長州藩の医師で兵学者だった大村益次郎は、長州でおこなわれていた招魂祭を東京でも行おうと考え、明治2年(1872年)に東京招魂社の建立を献策しました。

この東京招魂社が明治12年(1879年)に靖国神社と改称され、東京招魂社の祭事掛を務めていた青山清が、靖国神社の初代宮司に就きました。靖国神社の社史によれば、靖国神社の創建日は青山宮司が福原越後の御霊を琴崎八幡宮に祀った”慶応元年5月16日”になっています。

と、若干微妙なのですが、靖国神社の起源は琴崎八幡宮にあると言えそうです。

 

ところで、八幡宮というのは全国で4万4千もあり、大分県にある宇佐八幡宮が総本社です。

八幡宮がお祀りするのは、八幡神である誉田別命で応神天皇と同一です。応神天皇は、実在していた可能性がある最初の天皇と言われています。両親が仲哀天皇と神功皇后で、子が仁徳天皇です。

 

また、八幡宮には仏教伝来の早い時期から、神宮寺という仏教のお寺が同居するケースがたくさんあります。八幡大菩薩と称され、神仏習合の形です。

これは、応神天皇は神様にはなったものの、元は人間なのでいろいろ悩むことが多かったのだそうです。そこで、仏教に帰依して悩みを解決してもらおうとしたのだそうです。神様の悩みを仏さまが聞き届けるのが、神仏習合なのです。

 

また、八幡宮の神殿は、他の神社とは違って、八幡造りという前殿と奥殿の二部屋ある造りになっています。神様も疲れるので、昼間は前殿で仕事をして夜は奥殿でお休みになるのだそうです。

何だか、ほのぼのします。