懲罰で業績はよくならない・・社長のための老子(66)

老子の教えは毎週日曜日に掲載します。今日は、老子第七十四章です。

 

今日は、先ず本文から・・

 

民不畏死、奈何以死懼之。

若使民常畏死、而爲奇者、吾得執而殺之、孰敢。

常有司殺者殺。

夫代司殺者殺、是謂代大匠斲。

夫代大匠斲者、希有不傷其手矣。

 

4行目・5行目の「斲」は、”斧で切る・ノミで削る” という意味。

 

訳すと・・

民が死を恐れないならば、死刑でもって民を怖れさせることはできない。

もし民がいつも死を恐れているときに、それでも悪事を働く者を、私が捕まえて殺すことができても、敢えてするだろうか。(しない)

死刑執行人が殺されることはよくあることだ。

死刑執行を代わりに行う者がいたなら、木工の名人に代わって木を削るようなものだ。

代わってやっても、手に傷をつくらないで済むことはない。

 

何を言いたいのか、よくわからないので会社に置き換えてみると・・

会社の業績が悪いときに、懲罰で従業員を働かせることはできない。

会社が好調のときに、不正をおこさせないように厳しい懲罰を処すようなことはしない。

懲罰を課した側に損失がでることもよくある。

正規の規則に従わない懲罰は、決してしてはならない。

そんなことをすれば、自分が傷を負ってしまう。

 

要するに、懲罰を厳格にしても会社の業績がよくなるわけではない。懲罰は確かに必要なのですが決して恣意的におこなってはならない。ということです。