老子の教えは毎週日曜日に掲載します。今日は、老子第七十章です。
この章は、ほかの章と趣が違います。
どうも、老子さんには面白くないことがあったようです。
そのまま素直に読めば、「わしがわかりやすく話をしていやっているのに、どいつもこいつもわからん奴ばかりじゃ。ほんまにつまらんことじゃ。まぁ、それでもいいか。わしの貴くて燦然と輝く宝石のような話は、どうせこいつらにはわからんのじゃろう。」というような、感じでしょうか?
まぁ、ときにはそう思っていた方が、精神衛生の上でよい結果につながるのかも知れません。
教訓的に訳せば、何かを実践するには、先に目的や理由をしっかりと掴んでおくことが必要ということを言っています。
吾言甚易知、甚易行。
天下莫能知、莫能行。
言有宗、事有君。
夫唯無知、是以不我知。
知我者希、則我者貴。
是以聖人、被褐而懷玉。
道徳を知る人は、わかりやすく話をしてくれて、実践することが本来は容易です。
しかし、多くの人には、その話が理解できず、実践することもできません。
その言葉には目的があり、実践には理由があるのです。
その目的や理由をきちんと知らないと、実践することがわからないのです。
実践できる人はとても少ないので、道徳を知る人は貴重です。
そういう人は粗末な格好をしていますが、綺麗な心を持っています。