不良社員でも見捨てない・・社長のための老子(54)

老子の教えは毎週日曜日に掲載します。今日は、老子第六十二章です。

 

「道」=自然の法則に従って倫理的に正しい行いを自然におこなっていくこと。

これは善人にとっては宝のようなものですが、悪人といえども心の奥に必ず持っているものだと言っています。「道」に従ったからと言って、何でも上手くいったり、罪がまぬがれたりするわけではありませんが、心の奥にある「道」を尊いと感じるように部下を導いてください。

 

尚、5つ目の文は直訳すると以下です。

「ゆえに、天子が立ち、三公が配置される時、四頭の馬の先に平らな輪の形をした玉を捧げることがあっても、座ってこの「道」を進めるのにおよぶものはない。」

 

道者萬物之奧。

善人之寳、不善人之所保。

美言可以市、尊行可以加人。

人之不善、何棄之有。

故立天子、置三公、雖有拱璧以先駟馬、不如坐進此道。

古之所以貴此道者何。

不曰以求得、有罪以免耶。

故爲天下貴。

 

「道」はあらゆる人にとって、心の奥にあるものです。

善い人にとって「道」は宝ですが、善くない人だって心の奥に「道」を持ってはいます。

美しい言葉でビジネスをしたり、偉そうに見せて他人に信用させたりすることはできます。

そんな人の善くないおこないを、私は見逃すことはできません。

新しい社長が就任して、幹部の交代があったときに、祝賀の場に駆けつけて盛大にお祝いを送る人がいたとしても、ただ新社長が進む「道」を示す人のほうが役に立ちます。

昔の人が、この「道」というものが大切だと言うのは何故だったでしょうか。

「道」に従って生きるならば、求めるものを得ることができ、罪があったとしても免れるとかということでは決してありません。

ただ、この世の中で最も大切なものが「道」だというだけなのです。