偏りなく会社を治める ・・ 社長のための老子(32)

 老子の教えは毎週日曜日に掲載します。今日は、老子第三十九章です。

 

この章では「一」がキーワードです。インドでゼロが発見されるのは5世紀ですから、老子からは1000年ほど後になります。老子の時代にはゼロでなく1が基準になります。

この章の1は、現代人の感覚ではゼロと読み替えるとしっくりします。このゼロは”何も無い”という意味ではなく、起点のことで、どちらにも偏りの無い位置のことです。

 

昔之得一者。

天得一以清、地得一以寧、神得一以霊、谷得一以盈、萬物得一以生、侯王得一以爲天下貞。

其致之一也。

天無以清、將恐裂。地無以寧、將恐廢。神無以霊、將恐歇。谷無以盈、將恐竭。

萬物無以生、將恐滅。侯王無以貞、將恐躓。

故貴以賤爲本、髙以下爲基。

是以侯王自謂孤寡不轂。此非以賤爲本耶、非乎。

故致數誉無誉。

不欲琭琭如玉、珞珞如石。

 

昔、偏りを持たないものがありました。

大空は偏り無く清らかで、大地は偏り無く落ち着いていて、神は偏り無くおごそかで、谷は偏り無く水を満たし、万物は偏り無く生まれ、王は偏り無く天下を治めていました。

全て偏りが無いからできることです。

もし大空が清らかでなければ裂け、大地に落ち着きが無ければ崩れ、神がおごそかでなければ失われ、谷に水が満ちなければ涸れ、万物が生まれなければ滅び、王が治めねば国は倒れます。

したがって、王は貴さを賤しさを基本にして、高さを下を基準にして偏りを持たないことです。

王は自分のことを孤児、独り者、不届き者と呼びます。

これは王が身分の低い者を基準にした政治をおこなうためです。

王が威張れば威張るほど、威厳は失われていきます。

きらきら輝く宝石になろうとせず、ごつごつした石のようであるものです。