実質を尊び誠実に生きる ・・ 社長のための老子(31)

 老子の教えは毎週日曜日に掲載します。今日は、老子第三十八章です。

 老子は別名を道徳経と言います。三十七章までが「道」を説き、三十八章からがいよいよ下編となって「徳」を説きます。

 

 この三十八章は徳経の最初ですが、老子などの道家を孔子などの儒家と比較して宣伝しています。

 

 老子など道家は自然の法則であり万物の根源として「道」を尊びます。一方で孔子などの儒家では「道」とは人の正しい生き方を言い、「仁・義・礼」を尊びます。

 

 さて、老子や孔子が活躍していた2600年くらい前の中国は、春秋時代(前770~前403)です。前11世紀以降、封建制を確立していた周が衰え、有力な諸侯が争いながら少しづつ合従連衡を進めてまとまっていこうとする時代です。その後は、武力で争う戦国時代(前403~)に突入して、前221年に秦の始皇帝が中華を統一するまで200年近く続きます。

 

 この春秋時代には、まだ仏教は存在していなくて、諸子百家と言われる多くの思想家が乱立していました。思想家と言っても本業があって、軍事顧問、警察官僚、諜報員(スパイ)、資材担当、物流担当、占い師、学校の先生、などいろいろです。ただ、今風に言えば国や地方自治体の上級幹部職のようなもので、王や諸侯に雇われて生計を立てています。

 ところが、合従連衡で国はまとまり諸侯の数は時間とともに減っていきます(最後は始皇帝1人になる)から、思想家も需要が減って大変です。(現代日本も同じです。)

 このために、思想家の間でこちらの考えのほうが良いですよ、私を雇ってくださいという宣伝合戦が盛んにありました。この三十八章は宣伝を兼ねていて、儒家と道家の『比較広告』です。

 

 上徳不徳、是以有徳。下徳不失徳、是以無徳。

 上徳無為、而無以為。下徳為之、而有以為。

 上仁為之、而無以為。上義為之、而有以為。

 上礼為之。而莫之応。

 則攘臂而扔之。

 故失道而後徳、失徳而後仁、失仁而後義、失義而後礼。

 夫礼者、忠信之薄、而乱之首。

 前識者、道之華、而愚之始。

 是以大丈夫、處其厚、不居其薄、處其実、不居其華。

 故去彼取此。


 最上の徳(品性)を持つ人は徳が無いように振る舞うから、徳があるのです。

 下級の徳を持つ人は徳を失わないようにしようと思うから、徳がないのです。

 最上の徳を持つ人は徳をひけらかさないので、何も無理がありません。

 下級の徳を持つ人は徳があると言ってしまうので、あざとく見えます。

 最上の仁(思いやり)を持つ人は思いやりを見せるけれど、無理はありません。

 最上の義(正義)も持つ人があまりに正義の言動をとると、それは煩わしいものです。

 最上の礼(礼儀)を持つ人は、妙にプライドが高くて、礼儀知らずを馬鹿にします。

 社会が道理に従わなくなるから、品性が説かれるのです。

 品性が廃れてくるから、思いやりが大事だと言われるのです。

 思いやりが薄くなっていくから、正義に従うように言われます。

 正義も地に落ちるから、礼儀正しくするように言われる。

 礼儀正しくしなさいと言うのは、忠信(まごころ)の薄くなったことで、世の乱れの始まりです。

 将来を予測している人は、道端の華(実にならない)のようなもので、愚劣の始まりです。

 立派な人は、重厚にして軽薄にならず、実質のある方に居て、華の方には居ないのものです。

 だから、あちら(儒家)を捨てて、こちら(道家)を頼りなさい。