「丈夫届」正確な人口を把握するのは意外に難しい

国連の推計によると、インドの総人口は昨年4月末で14億2,577万人です。中国を抜いて世界最多の人口を抱えます。

 

ところが、インドの総人口ははっきりはしていないようです。インド政府の統計局の公式調査は2021年の12億1085万人という総人口が表記されています。まさか、3年足らずで2億人以上も増えるはずもないので、インドでは正確な人口統計がまだありません。

 

新生児
新生児

もっとも、日本の総人口にも多少の誤差はあります。

一時期に、老親の年金を受け取り続けるために、死亡届をわざと提出しなかったという報道が繰り返しありました。様々な理由で、出生届、死亡届、転入転出届が出されていないということはありそうです。

 

日本で出生届の提出が制度化されたのは明治4年(1886年)の戸籍法の施行からです。しかし、実際には出生届がきちんとは出されない状況が続いていました。

 

江戸時代では、武士階級であっても、子どもが生まれてもすぐには届け出をしませんでした。当時は、新生児が必ず成長するとは限らなかったので、満で5歳くらいまで育ってはじめて「丈夫届」として、当家に5歳の子どもがいることを届け出たそうです。

明治になっても新生児死亡は同様に多かったのです。鎖国を解いたために海外から感染症流入、とりわけコレラの大流行で多くの子どもが亡くなりました。

 

日本で出生届が比較的きちんとおこなわれるようになるのは、明治19年の改正戸籍法からのようです。この背景は、明治新政府による徴兵制があります。

明治10年の西南戦争など明治新政府が対応する内戦があり、明治27年には日清戦争も勃発しています。徴兵の対象となる男子出生の確認は特に重要になったということです。

 

一方の死亡届は、明治17年に埋葬火葬の条件として設定されたことで、一応は制度が補強されたようです。しかし、こちらも完全に定着するまでには時間がかかりました。

 

日本のような精密な戸籍制度がある国は、実は現代においても稀です。

日本人の国民性が精緻な戸籍制度を支えていますが、そんな日本でも正確な戸籍が完成してからは100年余りしか経過していないというわけです。