セウォル号問題の本質は解決されたのか?

韓国の朴槿恵大統領の弾劾が成立して、セウォル号事故の空白の7時間も再び話題になっています。

 

そもそも、国民が自ら民主的な投票で選択した大統領です。圧倒的な多数の国民が不支持に回って、大統領の座から引きずり降ろすというのは、ちょっと気の毒な感じがします。

 

韓国は世界11位の経済規模を持つ、名実共に先進国であり大国です。プーチン大統領の来日で騒いでいますが、ロシアは面積は世界一ですが経済力では韓国より小さい国です。一大陸一国家であるオーストラリアでさえも韓国よりは小さいのです。

そんな大国の国家元首の扱いとしては、いかがなものかと感じます。

 

さて、セウォル号事故です。

この問題の本質が朴槿恵大統領の不在にあるわけでないことは自明です。果たして、この問題の解決は果たされたのでしょうか?リスク管理の教材として考えてみましょう。

 

この問題の本質はいろいろあるのですが・・・、

第一は”救助が組織的に実行されなかったこと”だと思います。

簡単に言えば、誰が指揮を執って救助をおこなうのかが決まっていなかった。このため、官僚型組織の弊害として、自分の失敗を避けるためには事件に手を出さないのが一番だと考えたわけです。

具体的には現場に最初に到着した木浦海洋警察署の警備艇が救助の指揮をとるのか、上位の西海海洋警察庁なのか、更に中央海洋警察庁なのかが明確でありませんでした。言葉は悪いのですが、指揮権を押し付け合っていたわけです。

 

リスク管理の要諦は、危機に際して指揮命令系統が一切の疑いがなく確立されていることです。平時においては、ときにツーボスの状況もあり得ますが、有事では常にボスは一人だけです。もちろん、ボスが一人と言っても、それが大統領である必要は全くありません。

 

海難事故の救助に際して、大統領が指揮命令系統に入ることはあり得ません。セウォル号事故のときに大統領がどこで何をしていたかは、道義的な問題はともかく人命の損失とは関係がありません。韓国という国として、この問題をきちんとクリアすることができているのか?という疑問を拭い去ることが肝心です。

 

ちなみに日本の場合は、河川や内湾は消防庁(消防署)で海は海上保安庁だそうです。その境界に曖昧なところはないでしょうか?

刑事ドラマでは、多摩川を超えて逃亡した犯人に対して、警視庁と神奈川県警の管轄がどうしたこうしたとやっています。災害時に、首長が自衛隊に出動を要請するとかしないとかの判断やタイミングのズレ(多くは遅れ)が指摘されることもあります。

 

事故や災害に対しては、事前命令が確実におこなわれていて、指揮命令系統に混乱が生じる隙間がないことを確認しなければなりません。